フィールドエッセイ「旅と自然の心象スケッチ」  第1161回

SELF-PORTRAIT 地平線の彼方に

平成22年 元旦


2010年1月1日

ここは、ニューヨークのセントラルパーク

それともロンドンのハイドパーク、あるいはまた北京の天安門、東京、大阪・・・?、この地球星のどこぞの都市のどこぞの広場。

人類数千万年の旅路のはてに、この二足歩行動物が辿りついた、都市文明という魔物たちの終焉なのか、夜明けなのか・・・

平成22年元旦、この星の、この大地に、投影されたこの影、私がこの世に存在することの証です。

それにしては、わが人生、「背伸び」し過ぎてしまいました。

 

「諸君、理想の国はこの地平線の彼方にあるのだ!」

 

民衆を前に演説するロシア革命の時のアジであったか・・・

なるほど、地平線の彼方に辿り着いて見ると、その遥か彼方にまた地平線が広がっている・・・

それだけロシアの大地は広大であると言うべきか、あるいは、理想の国には辿り着けないというアイロニーなのか・・・。

 

今年、誕生日まで生きておれば、小生67歳。

さらにその先の、70歳、80歳、90歳という水平線の彼方に立った時に、何が見えるのか・・・、

不安になって50代、30代、10代・・・、と振り返るってみると、そこにもまたロシアのような広大な大地が広がっており、

キョロキョロとあたりを見渡せば、まだまだ道半ば、やり残したことばかり、

「急ぐに前途みちは遠けれど、向上努力一筋に、心ひまなき桑の弓」

炎天下の高校野球の応援時、土井晩翆作詞の校歌を歌った

半世紀前の敷島球場の記憶が甦ります。

 

むかし、むかし、世界は、まったくのカオス(混沌)でした。

カオスはカオスとして、すこしも不都合などなかったのですが、

あるとき、この星にヒトという動物が現れ、彼らはカオスには耐えきれず、神話を産み出しました。

かくの如く宇宙ができ、かくの如く太陽や月や星や地球ができ、かくの如く生命やヒトが誕生したんだよ・・・、と。

なるほど、なるほど、こうして私がここにいる・・・、ようやく安心して眠れるようになったんだとさ。

 

長い長い神話という眠りから、目を覚まさせたのもヒト。

「こうすれば こうなるにちがいない、やはりそうなった」 予測をし、失敗を重ね、

「合理主義」や「進歩の思想」が世界を支配し始めました。

 

今日よりは明日、明日よりは明後日・・・、進歩の思想は、「もっと、もっと、もっと」、楽観論を基盤とした欲望の思想です。

 

この世界もまた、秩序あるもの、因果関係のあるもの、合理的に説明できるもの、そう考えました。

神話を否定しつつ、常に「新しい神話」を創作し安眠を求める・・・、それがヒトという動物の特徴です。

地球が太陽を一周する公転は、ぴったりと365日などではありません、が

何とか辻褄合せに、閏年、閏秒という便利な潤滑油を発明。

都合の悪いことには蓋を、都合のいい部分を法則化、

それが科学という神話ではないか・・・

「新神話」の先には何があるのか

それが分りません。

 

宇宙を旅する旅人よ

あなたはどこから来て、どこに行こうとしているのですか・・・?

今年がどんな年になるのか、オバマさんも、鳩山さんも、道行く人も、山寺の和尚さんも、もとより私にも、分りません。

分かるはずのない、そんな不明のなかの一条の光が、見えるのか、見えないのか・・・、世界に未来はあるのか、ないのか・・・

自分自身は少しも変わらないのに、陽光が低ければ低いほど、ますます足ばかり細く、長く伸びていく、

かろうじてこの地球星にしがみついている私の影、

2010年1月1日の自画像です。

 

地平線のかなかに向かって、

ひょいと新たな一歩を踏み出してみたい・・・、そんな元旦です。

 

今年も宜しくお願いします。

 


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