フィールドエッセイ「旅と自然の心象スケッチ」  第1526回
 元旦の朝から観察三昧・・・



2015年元旦
本年も宜しくお願い致します。

今年は干支の「未」
小生も誕生日がくれば「12×6」となります。
ついこのあいだ還暦になった、と思ったら古稀を迎え、十二支を6回も巡ってしまいます。
もう立派な老人であり、「老後」の人生を生きていることになるのですが・・・
しかし、不思議なもので、60になっけても、70になっても
その実感が湧いてこない、という鈍感さに驚きます。

昨年12月15日の新聞誌上で、
90歳になった梅原猛の「生き物の運命」と題したエッセイを目にしました。
「バリ島では、死者の霊は天界に達すると、やがて一族の中に生まれ変わってくると信じられ、
王母の死後数年以上たって行われた葬儀は、王母が天界へ昇ったことを祝福する儀式なのである・・・
この儀式では王母の
ひ孫が重要な役割を果たしていた・・・」 と記し
ひ孫は曽祖父母の生れ変わり、という考えを紹介し
梅原猛自身がひ孫を抱いた時の感慨について
「子や孫に対しては、まず父親、祖父としての責任を感じるものである。
ひ孫に対してはもはや責任はなく、ただ愛おしいばかりである」
と述べています。

そういえば
3年前に孫娘が誕生しましたが、その数カ月後に曽祖母である私の母が他界しました・・・
あれは梅原流に言えば、「大祖母さんの生れ変わりだった」のかも知れません。

そしてもう一つ、梅原流で重要な点があります。
子どもや孫と違って、「ひ孫」は責任から開放されて「愛おしくなる」とありますが、
ならば、そのひ孫のその子どもになればどんな感慨が胸をよぎるのでしょうか・・・
想像にしか過ぎませんが、もはや血のつながりも失せてしまい
太平洋に漂うメダカほどの小さな存在となって
全ては無に帰していくのではないか
そんな意味合いを含んで
いたかも知れません。

平成27(2015)年
元旦の朝を迎えました。
いつもと同じ散策コースを歩いてきました。
自宅から大洲防災公園を通って、大洲神社へ
いつもは神社を素通りしてしまいますが、今日ばかりは、
一年の観察会の無事と充実を、健康と充実した日々であることを祈願しました。
たった5円で、これほどの欲張りなお願いを神様が聞きとげてくれる筈はありません、が
考えて見ると、5円でも5億円でもおなじこと、お金の額で未来を変えられるものでもなさそうです。


大洲神社はとても小さな神社ですが
ことし一年の 「健康、経済、生きがい」のある生活を
祈願しました。


元日の7時半ころの富士山です。

北西の季節風が吹き荒れて、富士の山頂は雪煙をあげ、山頂は見えませんでした・・・、が
強風のお蔭で、手前の山々も、東京のビル群も、はっきりと見えました。
白雪に朝の陽があたり、ほんのわずかにピンクががった山肌は
温かみが感じられ、多少の希望がもてそうです。

今朝の散策で・・・
市街地ではいくつもの発見がありました。
以下に写真を掲載してみました。

路地に落ちたクチナシは中身がくり抜かれて
ずかり食べられていました。
おそらくはヒヨドリの
仕業かと思います。



ヒヨドリがつついて落ちたもの・・・、だろうと思います。


空地でみつけたメマツヨイグサのロゼットです。
葉の周辺部は褐色に枯れ、冬の厳しさが伝わってきます。


センダンの実を食べるヒヨドリです。
果実はやや大きいので、飲み込むのは一苦労でした。


最後はピラカンサの果実を食べるヒヨドリです。

ピラカンサの果実は
市街地ではほとんど食べ尽くされたものの
江戸川の河川敷にはまだ20%くらいが残存しています。
鳥たちが運んだ種子が芽生え、河川敷に育ったピラカンサやノイバラ、センダンなどに

今朝もヒヨドリが2羽、ツグミが14~15羽、ムクドリの5羽、時にはジョウビタキの雌1羽もやってきます。


ピラカンサをついばむ14羽のツグミ
ちょっと見づらい写真ですが、こうして群がって食べるものですから
果実があと何日で食べ尽くされてしまうのかなど・・・
ちょっと細かい観察もしています。

江戸川にかかる市川橋から約500m
河川敷に飛来したのはカワラヒワの群、その数51羽、
写真はその一部です。



雀ほどの小さな命のいちいちに
銀河のほどの星ぞ輝く

電柱に眠る雀や冬銀河

風雪


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