フィールドエッセイ「旅と自然の心象スケッチ」  第1377回

ひかりはたもち、電燈は失はれ・・・

平成24年年1月1日


 

2012年

 

「光陰矢の如し」といいますが、

2011年があっという間に過ぎてしまいました。

何ごとが起ころうが、起こらなかろうが、時は過ぎていきます。

 

我が家では、

子どもたちがそれぞれ独立し、

老夫婦で静かな正月を迎えました。

もう少し正確に言えば、玄関横の一匹のヒキガエル君も一緒ですし、

庭のマサキ、ナンテン、マンリョウの果実もまた、

穏やかな新年を迎えました。

 

びっしりと実をつけたマサキ(左) 真っ赤な実のマンリョウ(右)

玄関横で冬眠中のヒキガエル君

 

マサキの果実は、時々メジロが食べにやってきます。

マンリョウの果実は、野の食物がなくなり、寒さのこたえる2月中旬ころに、ヒヨドリが食べにくる予定です。

ヒキガエル君は、玄関の横のナンテンの根元にうづくまり、砂や落葉の中にもぐって眠っています。

このヒキガエル君を見るたびに、カエルの偉大さに気づきます。

だいいち、私には、体温を下げて冬眠することなどできません。

「両生類よりもハ虫類や哺乳類の方がより高等な動物である」

などと、とんでもない思い上がりです。

カエルはカエルとして立派に生き、

ヒトはヒトとして生きている

にすぎません。

 

2012年の春、市川市では、

市内に生息するヒキガエルの繁殖調査を行う予定です。

昔ながらの旧家の池で、ひっそりと繁殖していたり、

我が家のように一緒に暮しているものが

どれだけいるのか・・・、市川市市誌の

記録として残そう、という

取り組みです。

 

昨年(2011年) は、

市川市内全域のツバメ調査を実施しました。

営巣した建物は292カ所、巣の合計で504巣に及びます。

現在、そのデータを集計し整理中であり、1月27日には、市川市主催の「ツバメの講演会」が予定されています。

 

興味のある方はお出かけ下さい→「ツバメのくらしからみた市川

(市川市中央図書館2階、JR総武線 本八幡駅下車、徒歩13分)

 

すっかりスローライフにひたっている老夫婦ですが、

昨年11月、「千代田の野鳥と自然の会」より 『千代田の鳥類』が発行になりました。

1989-2003年の5年間に、43名の会員が足でかせいで集めた貴重な鳥情報 約8000件を満載しています。

50年後、100年後の人が、20世紀末〜21世紀初頭の都心の鳥類と比較する時にきっと役立つ資料になることでしょう。

272ページの報告書は厚さだけで約14oもあり、重量は750g、ずっしりと重みがあります。

手前味噌ですが、皇居や日比谷公園のある都心の鳥類を

これほど詳細に調べたデータを

見たことがありません。

 

価格(3000円+送料300円)

購入希望者は、下記事務局に申込み下さい。

336-0042 さいたま市南区大谷口5286-1 仮谷道則方

千代田の野鳥と自然の会事務局

 

家内の方も

お蔭様で、有り難いことに、健康を取り戻してきました。

ご縁があって、茨城県在住の井上灯美子さんの詩集『いろのエンゼル』(銀の鈴社) の

表紙画や挿絵などを担当し、新春を迎えた本日(1月1日) 発行になりました。

 

『 いろのエンゼル』(銀の鈴社) 2012年1月1日発行

井上灯美子 詩/唐沢静 絵

 

昨年は、これまでの活動を振り返ることの多い年でした。

『鎌ヶ谷の自然』 (鎌ヶ谷市誌)の発行、市川市市誌(自然編)の編纂作業、

日本鳥学会100周年記念の特別号編纂、自然観察大学10年の歴史、都市鳥研究会30年など・・・・

2012年は、これまでのペースをさらにスローに切り換えながら、ゆっくりと着実に、収穫の秋を迎えたいと願っています。

私のために残された時を思うと、「一寸の光陰軽んずべからず」、です。

 

2011年の大震災の後

宮沢賢治の世界を改めて読み直してみました。

「世界全体がしあわせにならないかぎり、私のしあわせはない」

「私という現象は、仮定された有機交流電燈の 青白い一つの照明です・・・、ひかりはたもち、電燈はこわれ・・・

「私という存在」ではなく、「私という現象」というのですから驚きですし、私もまた「仮に定められた、一つの照明」に過ぎません。

作家のロジャー・パルバース氏によれば、『銀河鉄道の夜』には、

悲しみを乗り越えるための方法が描かれている、

という指摘もまた、驚きでした。

 

束の間の夢幻や今朝の雪

(風雪)

 


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