フィールドエッセイ「旅と自然の心象スケッチ」  

第1000回記念号

200万年のタイムスリップ

梅ケ瀬渓谷を遡る


 

あるく、馬、船、SL、自動車、飛行機、そしてロケット・・・

20〜21世紀へ、人類は空間的移動を可能にさせてくれる様々な手段を入手しました。

お金と時間+体力 さえあれば、地球の隅々にまで旅することも夢ではありません。

「だからどうなの・・・?」 と問われると、インド人の次の言葉にはかないません。

「世界のどこにいようと、そこにいるのはあんた自身じゃよ・・・」

 

空間的移動は進展したものの、

時間的移動については 科学技術はまったくもって無能です。

一杯のワインや焼酎、あるいは一遍の詩や小説にも歯が立ちません。

時計の針をグルグルと勝手に早回ししたところで、

過去や未来へタイムスリップすることなど

できません。

 

幾層にも、幾層にも織りなす地層

気の遠くなるような、時間の缶詰の中に閉じ込められた物質、生命、精神

やがて我等も、我等の生きた時代も、この層の一粒一粒となって 深い眠りにつこうとしています・・・。

〜200万年の歳月を閉じ込めた梅ケ瀬渓谷の地層〜

 

過去は永遠に戻らず

未来もまた手にした瞬間に未来ではなくなってしまいます。

それゆえに、ちょっとだけ過去や未来を覗いて見たくなる・・・、

それがヒトという動物です。

 

流るる水は絶えることなく、深く、深く谷底を削り

閉じ込められた地層から生命の記憶を洗い出し、過ぎ去った「時」の一端を垣間見させてくれます。

ビーグル号で南米を旅したチャールズ・ダーウィンの気分になって

さらに谷底を上流へと遡上したのでした・・・

 

2008年9月14日(日)

房総丘陵の奥深くの秘境、梅ケ瀬渓谷を遡りました。

メンバーは常連のクスクス会3名に、スペシャルゲストのK氏が加わりました。

K氏は「地球の歩き方」などを現地取材して執筆しているバリバリのライター。

アフリカ、モンゴルをはじめ、中国各地も自分の庭のようなもの。

数日前にシベリア鉄道を取材して帰国したばかり・・・、とのこと。

世界の歴史に精通し、時空を自在にスリップ、

会話が弾みます。

 

「えっ、Kさん、斎正子先生の教え子でしたか、都立高校の生物教師で斎先生を知らない人はいませんね」

「生物部に入って、三浦半島の磯採集に連れていってもらったのが切っ掛けで、すっかり生物好きになりました」

「最近は、教師も生徒もフィールドにでませんね、実際の生物を知らないまま生命系に進学してしまう・・・」

東京地方のローカルな話題も飛び出てきました、が

世界を旅したK氏の博学ぶり

脱帽です。

 

「スワヒリ語で、動物のことを何というか知ってますか?」

昔、蒲谷鶴彦先生とケニヤに行ったことはありますが、スワヒリ語までは勉強していません。

「う〜ん、分りません。何でしょう・・・?」

「ワニャマ wanyama です。ンニャマ nyamaの複数形で、ニャマは肉という意味です。

だから、サバナにはたくさんの肉たちがいる、ということになりますね・・・」

 

対岸に ヒラヒラと舞う一頭の黒い蝶を発見するや、

アフリカはサバナ(熱帯草原)から、一気に湿潤の日本へ、房総半島の谷底へと舞い戻ります。

 

黒いアゲハが1頭、クサギの花に舞い降り 吸蜜をはじめました・・・

 

クサギの花で吸蜜をはじめた黒いアゲハ

「クロアゲハ・・・? それともカラスアゲハだろうか・・・?」

ちょっと距離があり、遠くてよく見えません。

後翅の白斑が目立つので、クロアゲハやカラスアゲハじゃなさそうです。ジャコウアゲハでもないですね」

「白い斑紋があるので、モンキアゲハかな・・・? いやいや、モンキアゲハなら後翅に尾のような突起があるはず・・・?」

そっと接近し、川の中からデジカメで写真を撮って、画像を確認してみると

ナガサキアゲハでした。

 

この蝶、もともと

関東では生息していないテフテフでした。

東海大学出版会『フィールド図鑑 チョウ』 (1984年)には、分布は「近畿〜中国以南」とあります。

昭和47年(1972)発行の藤岡知夫著『図説 日本の蝶』(ニューサイエンス社)をみると、

「本州では山口、広島には比較的多く、山陰・山陽の全県から和歌山、大阪まで採集記録がある」 とあります。

20年前までは関東にはいなかった蝶が北上してきたようです。

地球温暖化のせいでしょうか・・・?

 

渓谷は生物の宝庫です。

オニヤンマやコオニヤンマ、カワトンボ、ナツアカネもいます。

足元からはハンミョウが飛び出し、いたるところにイノシシが掘り返した跡が目立ちます。

水滴がしたたり落ちる崖にはコケが密生し、小さな穴にはサワガニがいます。

清流からはツチガエルが顔をだし、岸辺の崖にはカマドウマの仲間(?)も見つかりました。

 

4名の目で探してみると、渓谷は生物の宝庫です。

写真は左から、サワガニ、ツチガエル、そしてカマドウマの仲間です。

 

崖の下のすき間をすみかとしているタゴガエルを探していた時でした。

「ひゃ〜、先生、ヘビです、ヘビがいます」 とUさんの声がします。

縞模様で、頭の後ろがくびれています・・・

 

清流を泳いで対岸へと渡るマムシ・・・

 

マムシと言えば

都立両国高校生物部の夏合宿で、

O君がマムシに咬まれた事件を思い出します。

1976年夏のこと、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕された年でした。

咬まれたのは両手の中指、両腕が丸太ん棒のように腫れてしまいました。

救急車で水上駅の近くの医院に搬送し、血清注射を打って助かったものの、悪夢のような夏でした。

当時の高校生はそろそろ50歳、昨日の出来事のようです。

 

自然は素晴らしいもの

美しいもの、感動的なもの・・・、

しかし、その一方で恐ろしいものであることを思い知らされました。

マムシは危険ですが、同時に、自然界にあっては重要な動物です。

コスタリカに旅したとき、致死率90%以上の毒蛇にも出あいました、が、現地の女性ガイドは、

「これは猛毒ですが、子どものころからきちんと教えられています、毒蛇としてつきあっています」

と平然としていました。

 

渓谷もまた、ひとたび大雨が降れば水鉄砲となり、逃げ場を失います。

「大雨のときにはいつでも逃げ帰るつもり」で、さらに奥へと進みます。

 

切り立ったこの断崖、無言で数百万年の「時」を語りかけてきます・・・

 

水に浸食された断崖には、シダやコケ、そしてたくさんの植物が生えています。

おそらくは一度も人が登ったこともないであろうこの断崖の、そのどこかに

未知の生物が生息しているかも

知れません。

 

フィールドエッセイ 第1000回、

梅ケ瀬渓谷の途中で一休み、次回の1001回へと続きます。

おかげさまで、筆者は今のところ元気にフィールドに出かけています。

残りの人生、もうしばらくお付き合い下さい。

 

明日死ぬつもりで生きよ

永遠に生きるつもりで学べ・・・

Mahatma Gandhi (マハトマ・ガンディーの言葉より

 


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