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きょうはおひがんです。 せいべい(清兵衛) さんのおかみさんは、あさはやくから ほけきょうじ(法華経寺) にとどけるために おはぎをつくっています |
せいべい(清兵衛) さんはおはぎをて(手) にして れんげのはな(花) のさくみち(道) を おてら(寺) へとむかいます。 |
いつのまにか、せいべい(清兵衛) さんのまえを さくらのもようのひ(日) がさをさしたひとがあるいています。 「こんにちは」とせいべい(清兵衛) さんは こえ(声) をかけました。 |
くるりとふりかえると、それはわかいむすめ(娘) さんでした。 「どちらへおでかけですか」 とせいべい(清兵衛) さんがこえ(声) をかけました。 「ほけきょうじ(法華経寺) におまいりに」 |
わたしもほけきょうじ(法華経寺) にいきます。 ではいっしょ(一緒) にまいりましょう。 「おもそうなにもつですね、おもちしましょう」 |
せいべい(清兵衛) さんはうれしそうに わかいむすめ(娘) さんとほけきょうじ(法華経寺) へとむかいました。 |
ほけきょうじ(法華経寺) につきました。 せいべい(清兵衛) さんがふりかえると わかいむすめ(娘) さんのすがた(姿)はどこにもありません。 |
アッハッハッハッ、それはおしょろぎつねというてな きつねのしわざなんじゃよ。 わしもだまされたことがあるんじゃ。 |
おしょろぎつねは きおろしかいどう(木下街道) に 「じんしゃてつどう(人車鉄道) 」 がとおるようになるころには でてこなくなりました。 おしまい |
(ほけきょうじ)
市川市中山になる日蓮宗のお寺です。
(じんしゃてつどう)
線路の上を人が押して走る車。
現在の鎌ヶ谷大仏駅近辺から下総中山駅付近を経由して行徳駅近辺河原を結ぶ12.3km。
明治42年(1909)から大正7年(1918)まであった「東葛(とうかつ)人車鉄道」のことです。
一車輌8人乗りで、一輌につき二人の押し夫が押していました。
( 以上 「HP:百樹道一歩の木下街道」より引用)
詳しくはこちらへ→「東葛人車鉄道」
(きおろしかいどう)
江戸時代からの重要な街道で、市川市の行徳から中山〜鎌ケ谷大仏などをへて印西市の木下(きおろし)までつづきます。